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2020.11.03
老子とタオ〈5〉
老子『清浄経』 第一章 「無 極 品」大意。
大道こそは天地人の三才を貫きし一本の理法であり、生・成・消・長の循環法則を包摂した存在である。太始にして太終、至高にして至深、至大にして至細、陰陽を燮理(しょうり) して変幻万化するその姿は、遠く人知の及ばざるところである。その根源は混沌としてなお井然(せいぜん)を保ち、玄機奥妙の限りが在(あ)る。遍(あまね)く天地の間を照らせし理の光は、恒星の輝きをもってその一面を垣間見せるも、その見えざる無為の世界において、燦然たる光は悉く宇宙に遍満する。大道こそは一切の元にして無極である。
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※燮理して…程よく整えて。妙合して。
(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)
2020.11.01
老子とタオ〈4〉
【第一章 無 極 品】(続き)
大道無名 長養万物
大道(だいどう)には本来名前というものがないが、あらゆる万物を長養して余すところがない。
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※長養(ちょうよう)…育て養うこと。養育すること。また、自ら研鑽をつみ、向上につとめること。(『日本国語辞典』)
(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)
2020.10.30
老子とタオ〈3〉
老子『清浄経』より、引き続き紹介します。
【第一章 無 極 品】(続き)
大道無情 運行日月
大道には本来人間のような感情はないが、能(よ)く日月星辰を抱きし大宇宙を過不足なく運行することが出来る。
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※日月星辰…太陽と月と星
(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)
2020.10.28
老子とタオ〈2〉
大道(だいどう)とは、『日本国語大辞典』には「人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。老荘思想でいう無為自然の道。」と書かれていますが、一般の理解はこのようなものです。この中では「無為自然の道」というのは正しいが、では無為自然とは何かが説明されていません。では、無為自然を調べると、「作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。『無為』『自然』は『老子』に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとした。」と、書かれています。一見もっともらしく聞こえますが、老子の指摘はそのレベルに収まることはありません。確かに、大道と口にされる時には人の道に対してその指針を示す言葉として用いられることが多い。その意味では決して間違いだとは言えません。しかし、ここに「大道無形にして天地を生育し」と表現されたときの大道は、そのような意味でないことは誰しもが理解できるでしょう。
この場合の大道とはこの大宇宙を創造した力のことを意味しています。ではその特別な力とはなにかが問題となります。
つまりその理解は2つに大別されるからです。しかもそれは往々にして唯物論者との間で対立するものとなります。
その1つは人間の意思概念を超えた<純粋意志>なる宇宙創造主を指し、他は、根源的物質としての<純粋エネルギー>を指すために唯物論者は純粋エネルギーに一切を還元させ、それをもって全てとしてしまう事による対立が生じるのです。
大道とはその両者を指し、更には人の世にあっては、大道が持つ道徳律に従う生き方が説かれることになるのです。
それがいかなるものかは、これから少しずつ学んでもらうことにしましょう。
2020.10.26
老子とタオ〈1〉
今日から、『タオと宇宙原理』第七章「老子のタオ」に掲載した老子『清浄経』を紹介していきたい。
◆老子の世界
「無極」といえば老子をもって他に語るべき適任者はいない。もっとも、そのことばそのものは後世語られるようになったもので、ここには見出せないのであるが、その義が明確に述べられている。老子の経とされている『清静経(せいじょうきょう)』は次のように語っている。
【第一章 無 極 品】
老君曰(わつ) 大道無形 生育天地
老子が曰(い)われるには、大道には本来形象はないが、能(よ)く天を生じ、地を育成することが出来る。
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※無極(むきょく)…(1)(形動)果てのないこと。限りのないこと。また、そのさま。無窮。(2)中国、道家の語で、きわまりない世界の根源をいう。のち、宋学にとり入れられ、易の「太極」と結びつけられ、宇宙の生成に先立つ存在として、宋学の重要な形而上的概念となった。(小学館『日本国語大辞典』)
※老君(ろうくん)…老子のこと。(不詳)中国古代の思想家。姓は李、名は聃 (たん) 。春秋時代末期、周末の混乱を避けて隠遁を決意し、西方の関所を通過しようとしたところ、関所役人の尹喜(いんき) に請われて『老子道徳経』二巻を著わしたとされる。儒家の教説に反論して無為自然の道を説いた。
※大道(だいどう)…人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。老荘思想でいう無為自然の道。(小学館『日本国語大辞典』)
(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)