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2020.06.19
自分はなぜ〈私〉なのか
それは、私が10歳のときのことであった。
いつものように狭い勉強部屋に入り椅子に座って窓越しに外を見た瞬間の出来事だった。窓の外にはまばゆい陽光とともに、いつもと変わらない田園風景と家並、そしてその先に博多湾が見えた。
その瞬間、私の脳裏に曾てない衝撃が走った。
〈自分〉は自分だけではない!
突如として襲ってきたその思惟はその日を境に〈私〉を決定づけることになった。
2020.06.18
千年の時を経た生
(風呂焚きの)材料の薪作りは、近所の農家の玄関先を使わせてもらっていた。祖父がそこに山から採ってきた間伐材を並べて寸法通りに均等に切り、いよいよ薪割りの開始となる。六、七歳の頃には筆者は薪割りでは名人の域に達していた。巧みに足先に薪を挟み、その先に思いっきり斧を振り下ろして真っ二つにするのが得意だった。いまそれをやれと言われるとほぼ間違いなく指を切り落とすだろう。何ともマヌケな都会人に成り落ちたいまの自分の情けなさを哀れに思う。それは実に充実した作業であった。TVゲームなど到底敵わぬ精神の充足がそこにはあった。
2020.06.17
日々の営みを受け止める感性
二歳頃からは、毎朝六時に起きて、庭で祖父と一緒に目の前の海を眺めてポンポン船(漁船)の往来に耳を傾け、その海を隔てた先の朝日を拝しながら歯磨きをしてその日がスタートしたものだ。祖父はいつも「じいちゃんが死んだら、あの畑はあんたにやるけんね」と語っていた。それは繰り返し祖父の口から発せられたことで、幼い筆者の心に「死」が明瞭に刻印されていくことになる。
2020.06.16
幼少時の体験が創る「侘びの精神構造」
更に筆者の幼少から小学生の間の日常の一コマを切り取って紹介したい。
当時の田舎での出産は正に文字通りの生家であり産婆によって取り上げられたものだ。たったそれだけのことが、その母親のメンタリティに大きく影響し刷り込みが生じることを余りに学者たちは無視しすぎている。「生」は産む側にも産まれる側にも無意識の刻印をその時に為すのである。鳥の雛が初めて目にする動くものを親だと思い込むように、人の子も初めて体に触れる布やその匂いや感触や耳に聴こえる数々の音や手触り、そして目にした光景が、その子の一生の性格を決定すると言っても過言ではないのである。その刻印は驚きと同時に無常観でもあるのだ。
2020.06.15
人が生きた証としての歴史
筆者にとって、歴史の理解はいとも容易い。それ故、時代劇など歴史物をテレビで観ていると呆れるばかりである。つい最近の出来事である戦時下の再現映像にしても、余りに日常の理解がなされていなくて、目を疑うばかりであるというのが日本人の悲惨な現状である。