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2020.07.19

幽玄は魂の叫び

 世界で語り継がれる日本映画の『雨月物語』や『耳なし芳一』などの映像に残された幽玄観は、常に儚く、黄泉との繋がりのみに依存してそこから抜け出すことがなかった。その映像も描写も欧米に於いてはエキゾチックと映り、大いに高い評価を受けてきた。それだけに、幽玄は、ただ死霊との関わりを美しく描くことだと勘違いさせられた人は多い。だが違うのである。幽玄はその様な浅い境地ではないのだ。この結果を導き出したのは、その全てが能にあると思われる。それは正にエキゾティズムそのもので、その観念の定着は、千年の時を経て常識となり、日本人の精神へとなり得たということだろう。

2020.07.18

「幽玄」というまどろみ

 一方、中国楚の詩人・屈原が洞庭湖に身を投げたそれは「公の死」を呼び起こし遂に端午の節句に祭られるに到った。彼の詩「離騒」に代表される憂国の思いには真摯な誠が有った。その姿には幽玄が垣間見えてくるのである。それは屈原には太宰が如き醜い欲望が存せず、清らかであったからだ。

 幽玄の死は侘びの死と共通するものである。だが侘びと決定的に違うことは、幽玄には一層の美が要求されることである。視覚的で明らかな美がそこには存在する。それに比して侘びにはその素直な美の麗しさは皆無である。一方、「侘び」に有される徹底した孤絶観や透徹した空観は幽玄には無いのである。

2020.07.17

幽玄は黄泉の国への誘い

 黄泉というと如何にもおどろおどろしい世界と感じてしまうのだが、幽玄に惹かれる心の奥には、出来るものならば塵世を離れて、天女が住む世界へと、仏国土へと転生したいという想いがあるのである。かぐや姫が竹の中に転生し、最後にはお迎えが来て天(月)に還る様に、人もまた神仏の許へ帰らんとする意識こそが幽玄観なのである。インテリを自認する人々が、然びの感性で幽玄を求めようとしても、そこに見出すのはせいぜい能レベルのものであって、それ以上になることはない。彼らには、地面に這いつくばった原体験が不足しているからである。何より土の匂いそのものが体に浸み込んでいる者でなくては、天へと昇るほどの幽玄には巡り会うことはないのだ。

 幽玄は美ではあるが、単なる美ではない。そこには、「侘び」同様に「生命」を賭した覚悟が求められているのである。その体験を幼い時より経て来た者でない限り、この「幽玄」も「侘び」も現前せし美として昇華するだけのものには成り得ないのである。

2020.07.16

幽玄と心の大きさ

 筆者の幽玄観にはもう一つ重要な映像がある。それは正に陽中の陽たる幽玄観である。それは堂々の昼間、数キロメートルの幅を持つ海や草原や砂漠など平坦な地を隔てた所の向こうに、幾重にも重なった小高い山々が深い連なりを見せ、尚且つ、その連なりが前列から最後列に至る濃い緑から青へ、そしてだんだんと色が変じコバルトブルーから紫を生じてさらに白へと変じ空と一体化していく景色である。正統的幽玄とはまさにこの景色に他ならない。

 この光景は写真にもよく撮られているし、多くの人が目撃しているものと思う。しかし、同じものを見ても、それが魂にまで響く者と、心にだけ響く者と、単に綺麗と思うだけの者と、何の感情も生まれない者との精神の差は甚だしい。この一点の差によって芸術も真理も万民のものとなり得ることは很だ難しいのである。常日頃からその己の魂を磨いてこなかった者、即ち一刻一刻を生き死にの覚悟をもって生きてこなかった者たちには、到底理解仕難い精神の美たる哲学が有されることはないのである。哀れなことは、そういう者に限って出世し、世のリーダーとなって誤った舵取りをしてしまうことである。

2020.07.15

天理の成さるるを諦観する

 人々は、(幽玄など)その様な美を求めることで平安が得られているということである。人類学者はすぐに太古原始時代の話を持ち出し、獣に襲われるかも知れない闇の中で、大地を照らす月は安心の象徴であったと言うのだが、まあそれも遺伝的に一理有るとしても、それ以上の心理が有されていると見るべきである。それこそが正に「美」であるのだ。美への欲求が美しき幻想への感動を与えていると素直に認めるべきである。

 それは、魂の回帰と言うべきなのかもしれない。何故なら、幻想も幽玄も、そこには常にこの世を離れたあの世が意識された美意識であるからである。幽玄を語る時に、〝あの世〟なる異次元感を無視することは絶対に許されない。