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2020.07.24

死さえも融解する感性

 昨日、幽玄とは如何なる心情かについて、次のように書いた。

 映画「最後の忠臣蔵」(杉田成道監督)の最後のシーンで、役所広司演ずる瀬尾孫左衛門(通称、孫左)が大石内蔵助と妾(可留)の子可音(十六歳)を嫁がせ、遂にその命を果たしたとき、主君の位牌を収める仏壇の前で自刃するその時の心情こそが、幽玄の正にそのただ中にあったと言ってよい姿であった。

 今日はその続きを述べたい。

2020.07.23

幽玄とは如何なる心情か

 映画「最後の忠臣蔵」(杉田成道監督)の最後のシーンで、役所広司演ずる瀬尾孫左衛門(通称、孫左)が大石内蔵助と妾(可留)の子可音(十六歳)を嫁がせ、遂にその命を果たしたとき、主君の位牌を収める仏壇の前で自刃するその時の心情こそが、幽玄の正にそのただ中にあったと言ってよい姿であった。

2020.07.22

天晴れ!

 日本の幽玄は飽くまで優美の追求に終始している感がある。その意味では、次に挙げるのはなかなか優美であり、何より命を捨てた城主の覚悟はあっぱれと言う他ない。屈原を遙かに凌ぎ、幽玄の極みと言うことが出来るだろう。この前には観阿弥も世阿弥も全く存在感がない。「天晴れ!天晴れ!」

 一五八二(天正十)年六月、備中国高松城主の清水宗治は、織田信長の命を受けた羽柴秀吉軍の水攻めに合い降伏。秀吉が出した条件を呑み、兵士の命を助けることを条件に死を選んだ。その時、宗治は信長の死を知らないまま、城を囲む秀吉軍の前で水面に船を漕ぎ出し、船上でひとさし舞を舞った後、辞世の句を詠んで優美に切腹した。  宗治の見事な切腹と介錯の作法がそれを見た武士の間で賞賛され、それ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が定着していったという。

2020.07.21

哲学としての幽玄

 載営魄抱一 営える魄を載んじ一を抱いて    霊より汚れし魄を除き一なる道を抱きて

 能無離乎  能く離れしむる無からんか     そこから離れるな

 専気致柔  気を専らにし柔を致して      呼吸を整え

 能嬰児乎  能く嬰児のごとくか        赤子が如くに浄まり

 滌除玄覧  玄覧を滌除して          幻想を除き

 能無疵乎  能く疵無からしめんか       曇り無きようにせよ

 茲に出てくる玄覧の玄とは本来の深い意味と異なり、この場合に限っては幻と同義に用いられている。この場合の玄は、日本人の幽玄の玄とかなり近いものとなる。だが老子は、それを取り除けと言っているのである。即ち、お前の真の霊(一)こそが本物であって、その一にこそ心を向けて離れてはならんと言っているわけである。わが国に於ける幽玄観には、この種の厳しさは一切見受けられない。

2020.07.20

幽玄は叡智の表象

 日本人の幽玄観には、真理探究が欠落しているのである。何を以て天地の法となし、何を以て魂の救いとするのかという最大の命題を日本人は見出さぬままに、万葉の時以来現在に至るまで生を営み続けてきたのである。そもそも幽玄は、大地に汗を流してきた者の叡智に対して表象したものであり、それは何千年にも亘って顕われてきた。