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2020.05.25

忘れ得ぬニュージーランドの風景

 筆者が旅した中でこの場にずっといたいと思った所の一つに、ニュージーランドのクライストチャーチから山奥にドライブに行った時だったろうか、そこは温泉施設の近くだった様に記憶しているのだが、一軒家しかない小さな入り江に数十メートルの長い木の桟橋が突き出ていたのである。

2020.05.24

烈々とした存在感に「然び(さび)」漂う古代遺跡

 その点、ヨーロッパや中東の古代遺蹟には目を見張るものがある。その存在感は烈々として見る者に迫るものがある。イギリスの影響もあって、戦時下のイスラエルでさえ建築物に使用する石の種類が統一されていたのには驚いたものだった。ヨーロッパ文明下にある国は、その景観について本当に考慮しているものである。それに比較してわが国のこの貧しい風景は落胆するばかりである。この状況に果たしてあなたは、それでも日本こそが「侘び然び」の中心国であると言い得るであろうか。

2020.05.23

ヨーロッパの「然び(さび)」

 では「然び」はどうだろうか。

 「然び」とは、内から出てくる輝きの事である。それは整然としたものでもある。侘びが簡素なのに対して、より艶を持ったものである。勿論それは抑制されたものではあるが、数寄屋の様に決まった形を造形し、茶会の様に美を意識する演出を行なう。簡素は同時に整然さを求められ、古きが尊ばれる。渋い色合いを見せて落ち着きがあり時を遡る奥床しさなら、ヨーロッパの古き街並みを歩くといい。全ての条件が具わっている。果たしてこれだけの条件をクリア出来る街が日本のどこに在るだろうか。

2020.05.22

ヨーロッパの乾燥した「侘び」

ミレー「落穂拾い」

「侘び」を感じさせるミレー「落穂拾い」

 一方、ヨーロッパ人の中の「侘び」はもっと乾燥している。日本人の様にジトッとしていない。彼らの陰性は日本人同様に実は自己否定を持ち合わせている。その様な者は、より思索的で静かである。しかし、どんなにそうだったとしても、自分に利害が生じた時には激しく戦うことを避けることはない。もしかすると、この「ヨーロッパ型の侘び」の方が「実践的侘び」として正しく機能しているのではないかと思う程である。

2020.05.21

自己主張しない日本人の心にある「侘び」

 筆者は若い時に世界中を歩いてまわった経験がある。その全てが日本と違う国であった。日本だった(植民地ではない)台湾や朝鮮や南太平洋の人たちだって全く違う国であった。中国も然り。世界中どこに行っても日本人と全く同じ精神を共有している国など存在しなかった。当然のことである。その中にあって、日本人の気質と似ていると思った民族がいくつかある。