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2020.09.30
『タオと宇宙原理』〈37〉第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説
空と刹那生滅―
◆「空」―絶対性の否定
筆者は仏教の大学で印度仏教を学び卒論で「空(くう)」(個の存在否定)と「異蔭(いおん)」(連続する意識)とについて論じたのであるが、現在その内容は、最新宇宙論が語る事と一致するようになって喜ばしく感じている。仏教教義の根本哲学は「空」と「刹那(せつな)生滅(しょうめつ)」にある。
仏教が説く「空」とは存在する一切のものに個としての特性(自性)を認めず、その絶対性を否定するものである。それを「無自性(むじしょう)」という。固定的実体を認めず、全ては相依性と説く縁起の関係性の異称でもある。自我の実在を認めず、この世界を構成する一切の恒存性を否定する。諸々の事物はただ因縁によって生じたものであって、個別の実体が有るのではないとする。これを無我とも言う。無我と無自性は同義である。「自性」の意味するところは絶対性のことである。それ故もし自己に絶対性「自性」を認めるとそれ以外は存在しないことになる。何故なら絶対とは相対の存在を認めない概念だからである。すなわち、絶対は「一」を意味する。他が存在する限り「それ」を指して絶対(唯一無二)とは言わない。
では、「それ」だけが唯一この世界に存在するならば絶対なのか、その通りである。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 「空」―絶対性の否定)
2020.09.29
『タオと宇宙原理』〈36〉第一章 古代人は幼稚という誤った観念
こうやって、人類は知恵を築いてきた。二千五百年以上にわたって幾何学は発展し、さらなる数学と物理定数が発見され、そこから宇宙物理学や量子力学といった自然科学が形成されるに至っている。その最先端の発見や理論はパラレルワールド(並行宇宙)やマルチバース(多次元宇宙)を生み出し、ついには「人間原理」なる宇宙意識を前提とした理論までもが展開し、もはやSF小説を読むよりも奇抜であり胸躍るものがある。今の若い人たちは本当に恵まれた時代に生まれていると思う。学問にはうってつけの環境の中で学問しないというのは罪であるほどだ。大いに優れた若者がこれから陸続として現われることを期待して已(や)まない。
それにしても、二千五百年前に仏陀が物理学の究極の定理を導き出し、更には知識としてだけではなく悟りという超越の世界を開示したことは驚異というほかない。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 古代人は幼稚という誤った観念)
2020.09.28
『タオと宇宙原理』〈35〉第一章 古代人は幼稚という誤った観念
現代人の中には、ある否定し難い観念がある。それは、古代人は幼稚で現代人は知的で優秀だという文明信仰である。確かに科学についてはその通りである。しかし、人間一個人対一個人として比較したときに、果たして古代人に勝り得るかと言えば、否である。ピタゴラスの幾何学の定理は学校で習わない限り誰も分からない。
人格に到ってはそれ以上の問題がある。聖書や論語はいまも読み継がれ現代人の精神の支柱となっている。つまりは現代人は人格において古代人以上ではないということを意味する。仏陀の空観は漸(ようや)く量子力学が追いついたところでしかない。科学でさえも一個人に負けているのである。これは驚くべき事実だ。かくの如く現代人の思い上がりは修正される必要がある。現代人は数千年の歴史に君臨する叡智に敬意を払うべきであり、少なくとも、もっと謙虚であるべきだ、と筆者は思う。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 古代自然哲学者の叡智)
2020.09.27
『タオと宇宙原理』〈34〉第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説
◆古代人は幼稚という誤った観念
現代人に、自分で地球の大きさを測れるかと訊いて、すぐに答えられる人はほとんどいない。古代ギリシャにおいて、彼らのような科学者(自然哲学者)が自然を愛し研究し、数学を発達させていたことは素晴らしいことであった。彼らの探求心は純粋で、今の科学者たちとは少しだけ違いがあったように思う。それは、彼らには自然に対する単なる観察や知的探求心だけでなく、深い洞察の眼差しが向けられていたように思えることである。それは自然に対する畏敬の念と言い替える事が出来るであろう。広い意味での宗教観であった。すなわち科学者の目と宗教者の目の両方を持ち合わせていたということであり、思考において何らの矛盾がなく、二者の両立がなされていたということである。この辺りは現在のほとんどの科学者からはイメージされにくく、欠落した部分である。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 古代人は幼稚という誤った観念)
2020.09.26
『タオと宇宙原理』〈33〉第一章 世界で初めて地球の大きさを測ったエラトステネス
(昨日の続きより)
これは、地球が丸いことを同時に意味していたのだが、ギリシャ人はそのことをすでに紀元前六世紀頃から知っておりエラトステネスはそれを実感として確認することになった。
そこで地球を球として、七・二で円周の三六〇度を割ると五〇となる。つまり地球全周の三六〇分の七・二(五〇分の一)の距離が五〇〇〇スタジア=九二五㎞という事になる。かくしてエラトステネスは地球一周の距離を五〇〇〇スタジア(九二五㎞)×五〇=二五〇〇〇〇スタジア(四六二五〇㎞)と計算したのである。 更に、ここから二五〇〇〇〇スタジア(四六二五〇㎞)÷π(三・一四)=七九六一八スタジア(一四七三〇㎞)と地球の直径を出し、半径を三九八〇九スタジア(七三六五㎞)と割り出した。実際の地球の全周はおよそ四万㎞であることからこの導き出された数字の正確さ(一五・六%の誤差)には驚かされる。
この誤差もシエネまでの距離を測定した専門の歩行者の技量の差なのであって、計算式そのものは完璧だった。この時代にこれらの計算式がすでに発見されていたことは驚嘆に値する。これが、人類史に残る地球の大きさを最初に計算して出したエラトステネスの偉業であった。今から見れば、実に単純な計算ではあるが、当時としては画期的なことであった。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 世界で初めて地球の大きさを測ったエラトステネス)