人生は残酷である-実存主義(エリート)の終焉と自然哲学への憧憬
- 著者:森神逍遥
- 定価:1,340円(税別)
- ページ数:285ページ
- ISBN-13:9784434231834
- 発売日:2017/4/11
- サイズ:四六判上製本 19.4 x 13.6 x 2.2 cm
- 発行:桜の花出版/発売:星雲社
あなたは、まやかしの人生を生きてはいないでしょうか
なぜ、自分は〈自分〉なのか。
自分が良しとしているその生き方はそれでいいのか―。
自分で思考し、自分の足で人生を切り開いているか―。
日本人が戦後獲得したと信じた「自由」や「民主主義」の本質を振り返りながら、本当に成熟した精神とは、真に自覚的に生きるとは、無思考の罠について問いかけてくる、人生哲学の書。
内容紹介
ロングセラー『侘び然び幽玄のこころ』で日本の美しくも厳しい精神哲学を解き明かした著者が、「生きること」の本質と<自分>という存在の根源的命題を問う。人類73億人のほとんど全員が一生考えることなく終わってしまう人間の根源的命題<自分>について考察する。 さらに現代社会の成り立ちを読み解き、人としての生き方を問う。
現代哲学の在り方に疑問を呈しながら、新たな哲学(自然哲学=純粋哲学)の必要性を提示している。著者が一貫して言わんとすることは、エリートと言われる人たち即ち学者や評論家あるいは一流企業人や官僚たちが、ただそれだけでエリートとして通用している事への懐疑、政治家の器と視野の狭さに対する批判である。
彼らからは、世界は心豊かな社会へとはなりえないことを指摘している。
後半では日本人のこれからの未来との関わりについて深く鋭い視点に目を醒まされる!
特に戦後思想界をリードしてきたサルトル実存主義の日本知識人への絶大な影響とあまりに酷い後遺症、そして、マスメディアに支配され続ける無思考な国民への警鐘が鳴らされている。
さらに戦後日本の知識人を衝き動かし、いまもエリートに浸透するマルクス思想。
そして、「自由に生きよ!」「行動せよ!」と呼びかけたサルトルに日本の全知識人が影響された事実を否定することはできない。戦後日本人は、進歩的に映ったこの思想に支配され、今もマスメディアや教育の現場を支配し続ける。しかし、それは無思考のままに未成熟な外来思想に追随したに愚行に過ぎなかったのではないか。
したり顔で、単なるイデオロギー的偏見や感情論を垂れ流すテレビのコメンテーターたち。
ヒステリックにトランプ大統領に反対する知識層と一般大衆。実は全てが情報操作でしかない。
「戦争反対、差別反対」を声高に叫ぶ<善意の人たち>という暴力的カルトイデオロギー集団。
誰もが自分の頭で考え、自分の言葉で意見を発していると思っているが、その全てがカルトイデオロギーと無思考の産物でしかないと著者は説く。
そして、著者は読者に問いかける―。
「人が考えるということ」「思索すること」とはどういうことなのだろうか。
そして「自分の人生を生きる」とは。
さらには、「自分」が「存在する」ということの本質は何だろうか、と問い直す。
「自分」はなぜ、<自分>なのか―。
高き理想を目指し、いま目の前にある現実を前向きに生きる―
この一見矛盾する事柄を止揚統合してこそ、真に生きるということであり、人にはその課題が与えられていると著者は説く。そのためには、自分の頭で思考し、自分の足で人生を切り拓くしかない、と著者は語り掛けてくる。
社会批評でありながら、読者に<自分>や「人生」について思考させずにはおかない「真に生きる」ことを求める人のための1冊である。
生きるということを一貫して問い続ける著者のまなざしは、厳しいながらも暖かく優しい。
本書を携えて、真の<自分>を模索する旅へと、出立する者は幸いである!
本文より
まえがき
人生について語るつもりだった。だから執筆は自分の10歳の時の〈私〉体験から始めることにした。人が生きるということはどういうことなのかについて語りたかった。それは〈存在〉について語ることであった。〈自分〉がここに〈存在する〉。ただ読者にその事実を哲学してもらいたいと思った。普通に生きているとそんなこと一度も考えることなく人生を終える人が大半だからだ。
だから少し考えてほしいと思った。ところが、哲学を調べていると私が知っていたデカルトやカントの時代ではないことに気付かされた。現代哲学は分析哲学と呼ばれる言語分析に重きを置き、本来の目的である形而上学的追究には消極的であることを知った。根源を追い求めるところの純粋哲学こそが哲学であるはずなのに、時代は、ことばにとらわれる学問へと変質していたのである。それは衝撃だった。幸いクリプキが登場して事態は改善されたのであるが、それでもこの哲学はゲイで神経質なウィトゲンシュタインの傲慢な言語論に呪縛されたまま、そこから抜け出そうとはしない。それどころか、世界はますますその流れに進んでいる。
時代は小賢しくなったのだと私は実感した。まさか哲学までもがそうなるとは思いもしなかった。もちろん哲学とは言語の分析なくして論理展開はできない。その概念規定は重要である。しかしそんなことは当たり前の話だ。だからといって分かり得ないからと形而上学を捨て去るとは、私には愚かとしか思えなかった。みながウィトゲンシュタインに盲従するとは想像だにしなかった。ドイツ観念論の逆襲を期待したいところだが、もはや遅いのだろうか。現代が深みを失った時代であることを象徴する現象として私には映ってきた。これならば理論物理の学説を学んだ方がうんと刺激的で面白いと思ったほどだ。物理学は思いもしない方向に進んでいる。興味深い。
一章においては〈自分〉という事の本質的意味を問おうとし、読者に立ち止まることを勧めている。果たして私が言わんとしていることを理解して頂けるか少々心配だが、自分が〈自分〉であることは明らかなパラドックスである。相対的存在という概念は理解できる。しかし〈自分〉問題はそれを問うているのではない。自分が〈自分〉であることの不可解を問うているのだ。読者が一緒に考えてもらえることを期待する。
そして、ここでは
二章では、トランプ米大統領を題材にマスメディアの報道の裏に存在する大衆支配の権力志向と、民衆そして知識人の無思考への批判を述べた。何より日本人の現実世界の命を賭けた闘いへの無知を指摘している。
最後に三章では、当初まったく想定していなかった全学連の軌跡を追うなどして、いかに日本人が左翼思想に染まって行ったか、そこに1966年来日のサルトルの影響がいかに知識人に勇気を与え、一気に国全体が左に傾き暴力的権力志向へ動いて行ったかを述べ、人間としての本来の姿へ立ち戻ることを提唱し
一章から二章、三章への展開は読者にとって思いもしない内容だと思うが、すべてはつながっている。逆に言えば、こういう書き方は私にしかできないように思う。一見無縁の事柄に感じられるが、形而上学的存在としての人と形而下学的現実を生き抜かなければならない人の矛盾と葛藤と昇華という弁証法的思考を語っている。
人生は二つの事で貫かれている。それは〈自分〉の解明であり、〈人生〉の完成である。前者なくして後者は成立しない。そして後者は決してカルトイデオロギーを求めることではないことを伝えたかった。生きることはもっと平和で心豊かなことだ。決して闘争を仕かけることではない。人は豊かな人生のために他者と戦うのではなく、自己を極める方向へ向かうべきである。
人は崇高で深遠な思いと同時に、地に足を着けた現実という生き様を矛盾することなくやりこなしていかなくてはならない。それはなかなか骨の折れることではあるが、「やる」という選択しか人類には与えられていないと私は思う。
皇紀二六七七年 平成二九年 三月 中空庭園にて 森神 逍遥 識
『人生は残酷である』 目次
まえがき
序章 人生は残酷である
自然哲学に生きる
人生は残酷である
生命のやりとり
幼児期に性格が決定する!
未来人類は有機AIに滅ぼされる
人生の葛藤
自分の人生とは
第一章 自然哲学への憧憬
〈私〉との出遇い
自分はなぜ〈私〉なのか
果たして〈私〉とは何者なのか―
16歳の帰結〈総体の私〉
〈死〉という宿命
生きるとは何か
分析としての〈死〉
〈自分〉とは何か
どこまでが自分の意識か
もう一つの自分〈肉体〉への違和感
空間とは何か
錯覚としての実在
時間とは何か
時間は存在しないのか
分析哲学を考える
伝統哲学への拒絶
〈意識〉とは何か
池田晶子の考察
池田晶子の誤解
もっと面倒な話
知識人(エリート)の限界
子どもの声は騒音か天使の声か?
哲学と現実との乖離
宮沢りえの罪の原理
独自性への挑戦
西洋哲学は創造者を認めている
NY大学現役教授たちの見解
哲学の根本命題は二つ
東洋哲学の超越
現代の象徴〈実存主義〉
サルトル主義の蔓延
人生は不条理か
〈実存〉は〈本質〉に先立つ
実存に見る神の否定と孤独
サルトルの屈折とアンガージュマン
大道思想としての〈自然哲学〉
自然哲学〉の提唱
第二章 思考は正しいか
言論は嘘を吐く
世論はマスメディアによって統制されている
小学校教師の児童支配
卒業文集に「自衛隊は違憲」を強制した担任
正しい眼
豊洲問題の本質
無思考の哀れ
自然哲学に立脚すべし
トランプ騒動の本質
リベラリストの謬見
陰の支配者
2017年1月20日 トランプ大統領就任演説
2017年1月10日 シカゴ・コンベンションセンターにおけるオバマ大統領退任演説
現実という名の真実
オバマ大統領も多くの民間人を殺害した
オバマ大統領は爆弾魔だった
自然哲学に還れ
オバマ政権の日本叩きの不条理
米民主党の親中嫌日政策
アメリカに支配される日本―田中角栄失脚に見る国民の無思考
田中角栄の魅力
何が問題なのか
「誇り」とニセの民主主義
祖国の有難さ
イスラムの自己責任と欧米の謝罪が必要
レイシズムということばの力
アメリカの危機
感情的理性
左翼活動家の矛盾
純粋な活動者たるべし
戦後日本人の支柱の喪失
中韓の中傷に言挙げしない日本人の屈折
政府・歴史学者の無責任
朝日・毎日新聞の捏造記事
在日の存在と日本人の無思考
産経新聞の孤軍奮闘が日本の名誉を支えている
韓国の捏造とユダヤ人の反発
世界は自分の正義を主張するの例
カナダ・イスラエル友好協会からユネスコへの意見書
韓国人の特徴と友情の回復!?
人は何をもって判断の基準とするのか
自我の錯覚
親子の情
時代背景の理解
恐怖の服従の心理
ミルグラムの電気ショック実験
第三章 実存主義の終焉
日本における左翼思想の台頭と混乱
学生運動の原点
もう戦後とは言わせない
公職追放21万人
「日教組」の誕生 「総評」から「連合」へ
ソビエトの崩壊と朝日新聞の変質
全学連主流派の回想
1960年6月15日雨
田原総一朗の告白
自衛官と警察の子の悲劇
カルト集団化していた総評
サルトルが日本に与えた影響
サルトルの来日
知識人のサルトルへの傾倒
知識人とは何か
教育の現場からイデオロギーを取り除くことが最優先課題である
あとがき