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2021年06月

2021.06.29

老子とタオ〈32〉

老子『清浄経』第24章を紹介します。

【第二十四章 超 昇 品】

真常之道 悟者自得 得悟道者 常清静矣

この真常の道、真実にして無極なる本道は自らの力で得る他に術はない。兢兢として己が心を観、常に変わらざる不動の誠心こそが悟の道を見出すのである。深遠幽玄の道理を悟り徹す人だけが永遠に常清常静の域に至るのである。将にこれこそが真の不生不死の態である。修行者よ万事万物のいかなるものをも決して貪り求めてはならないのだ。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.23

老子とタオ〈31〉

老子『清浄経』第23章を紹介します。

【第二十三章 生 死 品】

便遭濁辱 流浪生死 常沉苦海 永失真道

人というのは実に愚かである。せっかくの生であるにも拘わらず、便(たやす)く濁辱に遭(あ)い心奪われて生死輪廻に流浪する。自己中心であるが故に常に苦海に沉(しず)み、永遠に真道を失なうことになる。これ以上の恐ろしき事実は他にない。世の成功を得る者も失なう者も共に汚濁の情に支配され、本来純真無垢の天性を穢(けが)す。得失の得をもってしても、再びと救われることはない。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.20

老子とタオ〈30〉

老子『清浄経』第22章を紹介します。

【第二十二章 煩 悩 品】

既生貪求 即是煩悩 煩悩妄想 憂苦身心

貪求は次に煩悩となって燃え続け、身も心も傷付けていく。しかし世人はこの理を看破することが出来ず、自らを正として何ら顧みることがない。しかし貪求は不満を生じさせ憤りや怨み、哀しみや不安となって苦悶するのである。その結果、妄想は更に昂じて我見なる屁理屈をもって真実と見なし、永遠なる苦海へと転落していくのである。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.14

老子とタオ〈29〉

老子『清浄経』第21章を紹介します。

【第二十一章 貪 求 品】

既着万物 既生貪求

人というのは一度万物に執著しはじめると、それに牽かれて次から次と貪求(どんきゅう)を生ずるのである。理性では徳行の大事さを知りつつもそれ以上の欲求に支配され、寝食をも忘れるほどに万物に恋恋として離れることがない。実に哀れなるも、決してそれから脱却しようという気にはならないのが凡夫の性である。貪求は後生に次々と禍いを招くことになる。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.11

老子とタオ〈28〉

老子『清浄経』第20章を紹介します。

【第二十章 万 物 品】

既驚其神 即着万物

人に妄心あれば元神が驚かされ随次識神に牽引される。一旦識神が出現するとあらゆることに心を着すようになり、最早、その勢いを止めることは至難である。惑乱昏倒されし元神はその働きを内に秘め表に出ることを阻まれる。果たして、この元神をいかにして恢復(かいふく)させるかが焦眉の急である。この道こそが全てに先んじての一大事である。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.07

老子とタオ〈27〉

老子『清浄経』第19章を紹介します。

【第十九章 人 神 品】

既有妄心 即驚其神

修道者は、妄心を生ぜぬよう心しなければならない。妄心は元神を驚かしその作(はたら)きを滞らせ、心意は一気に物欲の囚となって恋着するのである。かくて恋々と妄執は続き、終(つい)にはその本(もと)を感ずることすら出来なくなる。修道とは元神を妄心の万殊へ流さないことであり、還源の理法によって一に帰する以外にない。これを聖というのである。

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※元神を妄心の万珠へ~ 心を事象悉くに対し妄りに散じないようにし、元神なる霊(たましい)の根本に意識を集中し続けること。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)

2021.06.04

老子とタオ〈26〉

老子『清浄経』第18章を紹介します。

【第十八章 妄 心 品】

衆生所以不得真道者 為有妄心

衆生が真の道を得ることが出来ないのは、将に妄心有るがためである。常に六欲にてこの世の刺激を受け妄りなる発想にその生き方を任せてしまっては、どこに道を見出すことが出来ようか。何をもって生の根幹となし何をその目的となすかを先ず定めなければならない。常にその心に妄りなきかを問い、天の理法に添って生きなければならない。

(『タオと宇宙原理』第七章 老子とタオ)