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2020.10.25
『タオと宇宙原理』〈62〉第一章 インド哲学との類似性
さて話を戻そう。「人間原理」説のディッケらは量子論の観測結果等のヒントから〈宇宙意志〉が自分を認識させるために人類を創造したと考えたのであるが、物理学者がどう繕おうとそれは現代版創世記に他ならない。彼のこの説は意外なことに多くの同業者の支持を得ることになる。さらに、一九七四年イギリス人のブランドン・カーターがより強力な論文を発表して以降、年を重ねるごとに支持者が増え続けているのである。
つまり、実は多くの物理学者は無神論者ではなかった、ということである。そして「宇宙は人間を創造するために設計されたのだ」と主張するに到り、ディッケの説を「弱い人間原理」、カーターの説を「強い人間原理」と呼ぶようになった。宇宙が今の状態へと導かれたのは必然であったとするものである。彼らが説く宇宙意識とは宇宙生命とも解釈できる。その場合には、東洋の「タオ」を意味することになる。この場合の概念は宇宙意識が放出された状態を指す。放出以前の純粋精神を指すのではない。この二者の違いは明瞭に理解される必要がある。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 インド哲学との類似性)