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2020.10.19
『タオと宇宙原理』〈56〉第一章 量子仮説の大発見
一九一三年、五十五歳の時、プランクはベルリン大学の学長に就任した。
就任するとすぐにアインシュタインを教授に迎え入れた。プランクは彼の才能を以前から高く評価していたからである。アインシュタインはプランクの助手を務めていたリーゼ・マイトナーに「あなたが羨ましい」と言った程にプランクの実力を認め尊敬していた。
彼のもとにはアインシュタインを始め、後に核分裂を発見するオットー・ハーンや、X線解析で知られるマックス・フォン・ラウエなどそうそうたる科学者が集まった。その理由はプランクが高潔な人格者だったことにある。世俗の評価に惑わされず、不正を憎み誠実に生きる姿は、接する誰をも魅了した。プランクを中心に多くの科学者が集まるベルリンは将に物理学の中心地となったのである。彼は国民からも尊敬を集めていた。趣味は山登りと音楽で、ピアノはプロ顔負けの腕前だったという。
そして、量子仮説の功績が認められ、第一次大戦が終わると一九一八年、六十歳の時、ノーベル物理学賞を受賞している。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 量子仮説の大発見)