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2020.10.07
『タオと宇宙原理』〈44〉第一章 刹那生滅
相対性理論と同様に仏教の有部は、未来と現在と過去を等価と見るのである。
そこには、未来から過去あるいは過去から未来に向かった連続する時間の矢が見出されることになる。しかも、それらが等価の関わりということになれば、未来が現在に影響し、現在が過去に影響することが論理的に導かれることになる。通常は、過去の因が現在に果を生じさせ、現在の因が未来に果を生じさせるということになるのだが、三世が実有であるならば、それは相互依存の関係となり逆の因果関係も有り得ることになるのである。この事は、アインシュタインの相対性理論の中で語られていることでもある。仏教と最先端物理学の一致とは何とも驚くばかりである。
更にこの理論でいくと、我々にとっての未来はすでに決定している、という最大の難問が生じることになる。もし決定しているということになれば、この宇宙の一切は固定因果論に陥ってしまうことになる。それは一見変化しているように見える宇宙も固定した存在でしかないことを意味する。つまり、それは完全に停止した時間と同じであるということになる。もしそうであるならば、そこには〈存在〉の意味はない。
たとえ、この世界が無常であり存在が否定されるものであったとしても、有為法としての実有は暫定的に認識されるものであり、その限りにおいて、そこには何らかの存在理由が見出されることになる。その観点に立つならば、未来相には、現在相にて迷いの中に呻吟する者の意思に伴う選択肢が有されていることを意味しなくてはならなくなる。それは量子物理学にいう波動関数に於ける波束の収縮と同様に多くの選択肢が隠されていることを意味している。そして、未来が現在へと移行した刹那に波動関数の収縮が起こって現実の自分へと転じられてくるのである。この点についても現代量子論と一致している。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 刹那生滅)