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2020.10.04

『タオと宇宙原理』〈41〉第一章 「空」―絶対性の否定

 その意味で、人がニルヴァーナを理解することは、解脱の前段階の境に至らない限り不可能である。

 その為には、自己のあらゆる執著(しゅうぢゃく) を捨て去らねばならない。完全に近い無執著の境地へと至った時に初めてニルヴァーナが感知できるようになるのだ。いくら科学者が頭脳活動をもってしてもこの世界だけは把握できない。原始宇宙、プラズマが光の直進を妨げたように、科学者の執著心なる煩悩が、意識をそれ以上の境地へと行かせないからである。最高の修行者でニルヴァーナをもし感じ取れる境地に近付いたとしても、そこに一縷(いちる)の概念なりが付随している限りにおいて空(くう)じられる対象となり、相対化され否定されるのである。

 また、「存在は有から生じない。存在は無から生じない。非存在は有から生じない。非存在は無から生じない」ともいう。本性が無ならもとより生じようがない。本性が有なら、すなわち有に自性があるならば、変化することがないのでそこから生じるものはない。これが「空」という世界である。そして、この空を仏陀の次に強調して説いたナーガールジュナは、無知なる者は生死輪廻の根本である諸々の執著せし行為を営む、と言って一切のことに対する煩悩に伴う執著を否定し、その先に悟りがあることを示すのである。「空」とは将に実体があるように見えて実体がない素粒子の生滅原理を説いていたのである。だからといって科学者が如き方法でいくら物理原理を学んでも、その人物が悟りに至ることは永久にない。その原理作用が根本的に異なるからである。悟りは頭脳でなされるのではなく魂(意識)でなされるからであるのだ。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 「空」―絶対性の否定)