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2020.09.18
『タオと宇宙原理』〈25〉第一章 日本の知識人の異常性
特にマスコミ人に代表される日本の知識人のあり方は異常であり、余りに無思考というほかない。変な言い方だが、日本においては「そもそも憲法二十条の思想信条の自由に抵触する!」のだ。にも拘わらず、知識人を自認する人たちは、この憲法を犯しているという無知を自覚することなく、宗教的なる思考を否定するのであるから滑稽である。面白いのは、第二項と第三項は声高に叫ぶのに、第一項は無視することである。
ではなぜ一項においても国からの特権を受けた特定団体の否定に言及しているのかと言えば、そもそもこの条項がアメリカ軍(GHQ)による国家神道へ対する否定を指していたからである。国家神道を利用して再びと我が国が軍事大国化しないことを明文化したものである。その結果、相対的に個人の信教の自由の権利の文字数が少なくなってしまっただけで、決してこの権利の保障が小さい意味なのではなく、実に重大な権利として憲法で規定されていることを国民は再認識する必要がある。
本来だったらマスコミではこの種の偏見発言はタブーになる筈なのだが、なることはない。マスコミも変な「ことば狩り」には熱心だが、平気でこの憲法を無視することは問題である。滑稽なのは、護憲を唱えている者たちが真逆の発言をするという矛盾に陥っていることであり、それに気付けない程にマスコミは論理的存在ではない。曾(かつ)て天才作家の三島由紀夫が自分が最も嫌うものとして、権威主義に陥った学者や評論家をあげていたが、まったくもってその通りである。流石に自己が確立していた人物であったことをこの発言は傍証する。筆者の中では『馬鹿一』を書いた武者小路実篤と共に、彼は作家の中でも群を抜いて魅力的人物であった。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 日本の知識人の異常性)