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2020.09.09

『タオと宇宙原理』〈16〉第一章 思考優位型の傾向と過(あやま)ち

 また、「神を信じる者は心が弱くその拠り所として信仰するのだ」ということがまことしやかに語られるのであるが、これらの思考も余りに短絡である。そもそも宗教哲学的にはそのような弱い心を信仰とは呼ばないからである。信仰とは強い心を有さない者には持ち得ない心だ。

 残虐なローマ皇帝下コロッセオにおいて、生きたままライオンの餌食にされたクリスチャンたちの勇気をこの思考優位型の唯物論者たちは持ち得ない。彼らは生き死にの〈言語体験=明確な自覚的思惟(しゆい)〉を経験してこなかったがために、時に、その「恐れ」から逃れるための思考の罠(わな)に陥り、この偏狭な価値観へと短絡してしまった者のように筆者の眼には映る。それは将にハイデガーが名付けたところの愚者ダスマン(世人)でしかない。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 思考優位型の傾向と過(あやま)ち)