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2020.09.08
『タオと宇宙原理』〈15〉第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説
◆思考優位型の傾向と過(あやま)ち
筆者が説く宗教観は仏陀が説くところのものであり、それは仏教中興の祖である龍樹が説く空観(くうがん) であり、同時に慈悲の論理である。それは、世間で知られているところの宗教観とはまったく異質の物理学と共通する哲理(教義)である。
宇宙に興味を持っていた筆者にとって職業としての物理学者は憧れだったが、それは単に宇宙の構造について知りたいという欲求からであった。百姓に感じた人間としての魅力を物理学者に感じたわけではない。ただその物理学者の探究する姿勢は素晴らしいと言うほかない。それは物理学者に限らずいかなる分野に於いても何かを探究している姿は美しいものである。しかしだからといって、科学者の一部に代表される痛烈な庶民への見下しと慢心は褒められたものではない。これからの子どもたちの未来が憂慮されるほどである。
科学信仰のその姿勢は、原理主義と呼ばれる宗教教義に陥り支配された人たちの狂信や盲信と本質的に同じだからである。その意味で誤った科学者と誤った宗教者とは同質である。その傾向が一番強いのは日本だとも言われている。我が国では知識人はイコール無神論者でなければならないという不文律がいつの間にか出来上がっており、それに反することは許されない。しかし、その様な決めつけは明らかにおかしい。それらは、目に見えない耳に聴こえないから存在しないといった実に子どもじみた幼稚性に依拠した短絡上に成立している。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 思考優位型の傾向と過(あやま)ち)