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2020.09.07

『タオと宇宙原理』〈14〉第一章 科学者の傲慢

 改めてドーキンスらの本を読み直せば、彼らが語ることは現在のイスラム、キリスト、ユダヤ教徒に対する批判であるということであって、もしかすると仏教は入っていないのかも知れない。それなら筆者が彼らを批判する筋合いはなくなるのだが、残念ながらそうではなさそうである。彼らは正真正銘の機械論的唯物論者であるということである。

 何より、懸念することは、彼らの存在感が大きく、権威者の意見を分析することなく盲信する日本人の特性に対してである。これ以降、日本人がますます唯物主義となり心を見失い、「欲」だけを支柱として生きる価値観に陥っていくことを強く懸念しているのである。

 残念なことは、アインシュタインらと同じ立場に立つ日本の物理学者たちが一部の強硬な唯物論者たちからの批判を恐れて表立てて彼らを論難しないことである。量子論研究をやっている秀才たちのみがこの神問題に突き当たっているのであって、それ以外の物理学者たちにはそこまでの認識が有されていない為に、唯物論に陥ってしまう傾向にあるように筆者には映る。しかも、欧米の研究者と異なり、キリスト教のような精神基盤を持ち得ていない戦後育ちの日本人研究者たちは、アインシュタインの言葉を借りるならば高度な概念である「宇宙宗教」なる知性を身に付けるに至らないのであろう。ただ、選りすぐりの量子論研究者だけは、この宇宙に何らかの意志が存在することを認めざるを得ない立場に立っているのである。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 科学者の傲慢)