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2020.09.05
『タオと宇宙原理』〈12〉第一章 ◆科学者の傲慢
そんな中、最近夙(つと)に気になり始めたのが科学者たちの傲慢と言っては言い過ぎかも知れないが、彼らの一般人への見下しである。彼らの知識は素晴らしいと思う。私のような無学にとって知性は憧れのものだ。数学者の数式は美に彩られているらしいが残念ながらそれを理解するだけの知識が我々庶民には欠落している。決して感性が欠落しているわけではない。単に知識が欠落しているのだ。ただ、彼らの言いたいことは理解できる。この数学者たちに特段嫌味を感じることはないのだが、影響力があるという意味で最近の一部の生物学者や物理学者や脳生理学者たちの辛辣なことばには、少々うんざりするものがある。
その代表格は、後にも記す生物学者のリチャード・ドーキンスである。ただ、彼は宗教原理主義者に対する強い憤りが原因らしく、それは理解できるものだ。「隙間(ギャップ)の崇拝」なる観念を持ち出し、科学が知り得ていない無知を捜し出して宗教はそこに神を主張する、といった論を進めているが、これはイギリスやアメリカの話だ。我が国にはまったく当てはまらない。更に彼はいかがわしい神秘主義者を批判している。その点については筆者も同感だ。うんざりする。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 科学者の傲慢)