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2020.08.21
自然哲学へ還れ
それにしても、人は何のために生きているのかと私はいつも思う。このような現実を見るにつけ、哀しく思う。その過酷な状況から脱け出せない人びとにとって人生とはなんと残酷なのであろうか。果たして哲学はこの現実を変え得るだけの力を持ち併せているのかが、常にわれわれに問われていることでもある。生きることの本質は、日常の洗脳から解放されない限り、それを理解することは難しい。サルトルは神学規範(西洋の道徳律)からの自由を説いたが、実はそれ以上に日常的な洗脳からの自由こそがわれわれに問われていることなのである。
しかし、洗脳から解き放たれた精神は、自由を得ると同時に何に向かって生きるべきかの不安へと陥るのである。サルトルが言うところの実存の不安である。われわれはだからこそ、自然原理に立脚した自然哲学へとシフトする必要があるのだ。その思想は、不安に襲われることなく他者を受け入れ敵を赦し得るものであるからだ。
その為にもわれわれはマスメディアに支配されてはならない。それらは所詮、一人間の個人的見解にすぎないからであるのだ。そんなものは真理でも真実でもないのだ。
(『人生は残酷である』第二章 思考は正しいか 自然哲学に還れ)