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2020.08.14
寡黙のなかの侘び
それは寡黙な百姓たちの叡智派に於いても同様だった。彼らには雅人の様な嫉妬の類に悩まされることはなかったが、只管貧乏という命との闘いと諦めとが日々に襲っていた。その中から叡智派は民衆の叫びとしての仕事や祭りや怒りや死そのものの中に「侘び」を見出し更に「幽玄」を体験していったのである。
百姓たちは、長じてから、自分がいま、ちゃんと飯が食えて、少しでも楽に暮らせている中で、ふともっと辛かった時のことを思い出すと、何とも悲しく切なく辛いのだが、それを受け入れることによって自己を客体化させ、そこに哲学的美を見出すようになっていったのである。
しさ、何らかの味わい、辛かったけれども、それを許容する諦めが出てくる。それは、時を経るということでもあるわけである。時と共に、則ち安定した生活と共に、それを根底で支えた貧困さを精神の支柱として内包させてきたのが「寡黙派の侘び」であった。
(『侘び然び幽玄のこころ』第五章 「侘び然び」の再定義 否定的体験の再評価)