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2020.07.30
デカルト「物心二元論」の真の評価
「近世哲学の祖」として崇められているデカルト(一五九六~一六五〇)であるが、この物心二元論の祖の思想は、果たして「侘び」観を超えたものであったのだろうか。彼の意識から外されていったものにそれまでの神があった。ヨーロッパ人の思想を支配し教条的に縛りつけていたこの神から巧みに人間を解放したのである。それには人間讃歌を果たしたルネッサンスの後ろ盾があったことは否めない。こうやって彼は、分離された肉体について解体を始めたのであった。そして幾度もの思惟の最後に彼は「我あり」と叫んだのである。
「コギト・エルゴ・スム」(cogito ergo sum われ思う、故にわれ在り)という彼の有名な言葉があるが、果たしてそれは、ニュートンの万有引力の発見に匹敵仕得るものであったのかということである。どうも哲学界はそう言いたげであるが、そんな事はギリシャ哲学の時代からもインド哲学の時代からも中国哲学の時代からも有った。それを無かったという者は余りに無知なのではないかと言うほかない。
単に彼は、自分の思考の論理を人前に展開し、「われ思う」という台詞に収斂したに過ぎない。カトリック絶対の中で従来誰も言い得なかった、言うならば神への反逆をやった、そのことに対する高い評価と理解すべきなのではないだろうか。そうでなければ、こんなマヌケなことがこれほどに語り継がれるわけがないのである。
そんな事は世界中誰だって思っていることで、デカルトの専売特許とは言わせない。彼は、それまで中世ヨーロッパ人を支配していたキリスト教(神)絶対の思想モラルを否定して、ルネッサンスの人間讃歌に倣(なら)い人間精神の自立を明らかにしたのだが、それはそれ以前のヨーロッパ思想界に問題があったからで、デカルトが語ったことは取り立てて驚く様なことではなかった。それまでの日本人も同様に神仏の存在を信じ、畏れてはいたが、「自己」を理解するうえで、神学を必要とはしなかった。確かに鎌倉時代に於ける末法思想の様な影響がなかったわけではないが、それは後の室町時代に於いて、天台宗の本覚思想の出現と同時にルネッサンスよろしく人間軸を中心に哲学されるようになったのである。
(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 デカルト・懐疑法より上位意識としての「侘び」)