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2020.07.27
〈考え〉を超越する
一方の東洋哲学の特徴は〈考え〉を捨て去るところにある。それ故、何かを説明するときには言外の言に重きを置いてきた。すなわち〈直観〉こそが重要視されてきたのである。この東西の価値観の差は著しく、西洋人にとっての東洋哲学の理解は困難を極めている。そういう中にあってキルケゴールの影響を受けて実存哲学を根本に据えたヤスパースは、当時フランスで禅の指導をしていた弟子丸泰仙禅師と親交を深め、言語を超えた世界を直接的に体験している。そのような中から彼は人との「交わり」を「愛しながらの闘い」と表現して重視した。彼などは、多少なり東洋哲学が理解できた人物だと思われるが、弟子丸禅師の評価は決して高くはない。何であれ、西洋人にとって沈黙は苦痛以外の何ものでもない。もっとも中国人の方がもっとそうかも知れないが。果たして現代の中国人に昔の中国哲学が理解されるのか、はなはだ疑問である。それはさて置くとして、かくの如く、言語によらずして西洋哲学の存在はあり得ないのである。
この点において、インド仏教に代表される東洋哲学も充分に言語を用いたものである。しかし、その言語の先に必ず瞑想(ヨーガ)という必然が存在し、言語に陥ることを厳しく戒めるのである。西洋哲学者たちは、言語の限界を認め、ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」と記した。だが、仏教哲学も老子もそのような次元の低いことを認めない。言語は人間が生きる上での便宜的道具にすぎず、言語が世界を規定することなど有り得ない。動物は人間的言語を持たないが、彼らは言語以前の知覚によって世界を広げているのである。聾唖の人たちのことを理解することでも分かるが、彼らは手話なりの言語を学習するまでは言語の世界に生きているわけではない。ならば、彼らにわれわれと同じような世界がなかったのかと言えば、決してそうではないのである。
実は私にもそんなときがあった。あとになって母親から聞かされて驚いたのだが、私はことばを喋るのが極めて遅かったらしい。一般に2歳で喋りだすのに、私は3歳になっても喋らず、母は心配して病院に連れていったそうなのだが、ほどなくして喋りだした。ではその間に私は何も思考していなかったかといえば、大違いである。私は充分に言語の内にいたし、言語そのものを理解する以前において〝思考〟していたことを思い出す。そこには紛れもない自分の世界があり、広がりがあった。言語はその有無に関わりなく、〈私〉は存在するのである。長じてアインシュタインが5歳まで喋らなかったと知ったときは、さすがに驚いたものである。彼もきっと言語以前の思考の体験者に違いない。
東洋の哲学は言語を否定する。もちろんある程度までは言語を容認するが、あるところからそれを拒絶する。この本質的な哲学の差を理解していない日本人は東洋人たり得ないと言っては失礼だろうか。しかし、この東洋的思考こそが、いずれ西洋哲学を乗り越え世界の標準となることを私は秘かに期待するものでもある。言語には限界がある。だが、心には限界がない。ましてや精神(魂)は無限の広がりを持って未来を切り拓いていくのだ、と東洋哲学の先達は常に語っている。
分析哲学が世界を席捲してきたのは、この30年の間である。日本にあっても一部の間で論じられるようになった。しかし、日本社会を眺めたときには、世界とはまったく違ったある意味遅れた世界が展開されていることに気付く。それは左翼主義社会であるということである。左翼主義のカルト的集団が圧倒的権力をもって支配しているのである。逆らえば殺られるのである。なぜカルトに分類されるのかと言えば、彼らは肉体的暴力もことば的暴力もまったく厭わない集団だからである。彼らの内に言語分析が浸透したならば、意外といい結果に昇華されるかも知れない。彼らには意外にも論理が欠落しているからである。
(『人生は残酷である』第一章 自然哲学への憧憬 東洋哲学の超越)