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2020.07.23
幽玄とは如何なる心情か
映画「最後の忠臣蔵」(杉田成道監督)の最後のシーンで、役所広司演ずる瀬尾孫左衛門(通称、孫左)が大石内蔵助と妾(可留)の子可音(十六歳)を嫁がせ、遂にその命を果たしたとき、主君の位牌を収める仏壇の前で自刃するその時の心情こそが、幽玄の正にそのただ中にあったと言ってよい姿であった。
則ち、「死のゆらぎ」ではなく、より自律的な「死へのゆらぎ」(それは決して迷いや不安ということではなく、只、そこに人間存在としてのある種の達成感、或いは肩の荷を降ろす的心情、更には遙かなる悠久の時への想い=この場合は討ち入り=に対する遂行、悔恨もまた然りの心情、更に使命の達成感による高揚)それらの心情が一つのものとなって、その場の一体の〝ゆらぎ〟がその心情をとらえて離さない状態こそが、正に死に於ける幽玄なのである。この種の死を前提とした陰性の幽玄には常に超越感としての孤絶の意識が介在し、即ちそこには「侘びの畢竟地」が同時に作用していることを見落としてはならない。
(『侘び然び幽玄のこころ』第二章 幽玄 幽玄とは如何なる心情か)