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2020.07.22

天晴れ!

 日本の幽玄は飽くまで優美の追求に終始している感がある。その意味では、次に挙げるのはなかなか優美であり、何より命を捨てた城主の覚悟はあっぱれと言う他ない。屈原を遙かに凌ぎ、幽玄の極みと言うことが出来るだろう。この前には観阿弥も世阿弥も全く存在感がない。「天晴れ!天晴れ!」

 一五八二(天正十)年六月、備中国高松城主の清水宗治は、織田信長の命を受けた羽柴秀吉軍の水攻めに合い降伏。秀吉が出した条件を呑み、兵士の命を助けることを条件に死を選んだ。その時、宗治は信長の死を知らないまま、城を囲む秀吉軍の前で水面に船を漕ぎ出し、船上でひとさし舞を舞った後、辞世の句を詠んで優美に切腹した。  宗治の見事な切腹と介錯の作法がそれを見た武士の間で賞賛され、それ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が定着していったという。

  浮世をば 今こそ渡れ 武士の
         名を高松の 苔に遺して

 この力みの無さがいい。戦に敗れたことに執着せず、精一杯生きてきたことに満足をしたこの句は、切腹を直前にして実に堂々たる美しさである。日本人が伝統的に受け継いできた「侘び然び幽玄」が正に一つとなってここには露われている。誇るべき姿である。ただただ感じ入るばかりである。

 これを「天晴れ!」と言わずして何を言うのかと思うほどに感服させられる。素晴らしい男だ!!

(『侘び然び幽玄のこころ』第二章 幽玄 死の幽玄の姿)