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2020.06.28
どこまでが〈自分〉なのか
さて、誰もが何の違和感もなく〈自分〉を受け止めているのであるが、果たして〈自分〉とは何であろうか。というよりも、どこまでが自分の意識かということを少し考えてみたい。
10歳のときの〈私〉との出遇いは、余りにも衝撃的であった。私は、それまでのただ自己に執着しただけの自分から他者を認識した自分〈私〉へと階段を一段登ることになったからである。何より衝撃的だったのは、〈自分〉という存在の不可解さであった。その主人たる自分が存在する。だがそれは、他者においても同様で、それぞれの他者がそれぞれに〈自分〉を生きているのである。その他者の〈自分〉と自分の〈自分〉はあくまで相対的関係でしかない。
ところが、その主人たる意識は、〈自分〉にしか自覚されないのである。どうあがいても、ここにいるのは〈自分〉のみで、他の誰でもないのだ。いま、思考し続ける意識は〈自分〉だけのものであり、他者のものではない。ここに自分の思考がある。活動している。その意識は自分以外の何者でもないのだ。この当たり前の事実こそが、人生最大の命題なのである。数千年にわたって論じられてきた神の有無問題よりも圧倒的な難問が〈自分問題〉であるのだ!
(『人生は残酷である』第一章 自然哲学への憧憬 どこまでが自分の意識か)