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2020.06.13
人に与えられた「定め」
洗濯物が干せなくなるのもこの季節の特徴の一つだ。黴もまた然り。農家などで洗濯物が多い家では、何もかもが黴臭くなることへの戦いが始まる時でもある。これは関東でも多少は共通する所ではあるが、その比ではない。パンに黴が生えた経験は誰しもにある。現代ならば自動洗濯乾燥機などがあってすっかり農家も様変わりをしたのだが、昔はそうではなかった。都会の様に、車で何もかもが解決することもなかった。何もかもが人力で前に進むしかなかったのである。
それは日本人がまだ貧しい時代でもあった。高度成長期にあったとはいえ、田舎の農家にとってそれは日々の生活に追われる中で、大した実感のないものであった。しかしその様な人々をあざ嗤うかの様にわが国は高度成長を続けていた。郵便配達員は大きく頑丈な赤いポストから郵便を回収し、また自転車で町々を走り、その先々の家庭で親しげに会話を交わす素朴な時代でもあった。それは日常に埋没した姿であると同時に、人が人として当たり前に生きる姿でもあった。そんな片田舎に梅雨がやってくるのである。会社や役所勤めの人にはそれ程の実感が伴わないかもしれないが、いまだ舗装されていない泥道を歩く田舎の人たちにとって、況してや百姓にとって梅雨の「しろし」さは心の奥深い所にまで染み入っていたのである。しかしそれは「鬱陶しい」という心情とは異なりより哲学的で、深い心情を見出すものであった。
それは、我々が正に現前する所与の世界に生きていることを意識させられる時でもある。この梅雨も蛙にとっての環世界は繁殖の時であり、もっとも麗しいのだろうが、人間はそうではない。しかし、その誰もが、この雨のお蔭でおまんまが食べられるのだ、という観念の中で生きており、必然的にこの大自然の営みに感謝をするのである。あれ程に苦しめられる嫌な長雨のはずだというのに、田舎の昔の日本人はそう感謝をしたものだった。果たしていまもそうなのかは知らない。しかし、筆者が二十年を過ごした九州の田舎では、人々の心情から長雨に対する恨みが吐き出されたことはなかった。何故ならそれは、人に与えられた「定め」だと誰もが認識していたからである。
「しろしかねえー」
筆者の母はこの時期、すれ違う人たちと笑顔でお決まりの挨拶を言い交わした。
口々に、彼らの言葉から、うす暗くて湿った日々への諦めが聞こえてくる。物憂い日々でもある。しかし彼らの誰一人として、この梅雨がない方が良いとは言わない。何故なら、この長雨こそが日本の農業を支え水を不足から守ることを知っていたからである。この「しろしい」には、「鬱陶しい」とは全く異なる深い心情が込められているのだ。
※百姓という語を差別用語という人たち(=大方は左翼活動家)がいるが、それは正しくない。それは都会で安穏と生活しているインテリを自認する人たちの発想である。恐らく彼らは内心で百姓を見下しているのだ。だからインテリを知性と見誤り、肉体労働を一等下の行為と無意識的に感じているのである。この辺りの感覚は実際に畑を耕した者と机上で学んだ者との決定的な違いである。筆者が信じ敬愛する職業人は、個人にあっては農民ではなく百姓であった。百姓こそが大地に根付いた者であり、その息吹を己がものとした人たちであった。それ故、茲では、その苦悩と命を紡いできた者たちへ敬意と愛情を込め百姓と呼称している。
(『侘び然び幽玄のこころ』第一章 侘び 日本人を決定付けた梅雨の存在)