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2020年06月

2020.06.30

空間の考察

 われわれは何の違和感もなく自分を演じ生きている。そして内なる自分から外なる自分へと意識が動いたとき、眼を通して外なる世界を認識する。正しくは眼耳鼻舌身意なる六根の働きによって外界を認識するのである。視覚として空間を認識し色や遠近形状を知るのである。耳は音、ことばを聞き分ける。鼻は周囲の匂いを嗅ぎ分け、呼吸という生命維持の重要な役割も果たしている。舌は味覚という生命維持のための食と密接な関係にあり、かつ言語を発する。さらに全身の頭・四肢・皮膚・内臓器を通して外を認識し関わる。そして意識がそれらを統括して自分とその周辺の諸々の現象を把握するのである。この六識をもってわれわれは自分の存在を認識するのだ。

 しかし、失明したり失聴したりすれば、外界の把握は著しく困難となる。ところが近年の研究では、失明した人が「エコーロケーション(反響定位)」という手法で、コウモリとまったく同じ原理で物体を把握し、ほとんど眼あきと同じ状態になれることが明らかとなった。聴覚を失った人も、ちょっとした風の流れや匂いなどと連携して心で感じ取る(聴き取るではない)ことができる人たちを見出したのである。

2020.06.29

〈存在論〉ではなく〈自分論〉を

 なぜ〈自分〉なのか―。この問題は永遠に解決しないように思われる。この話をし始めると、自分と他人の差について違いについて論じているのだと勘違いする人が大半であるが、そうではない。それは〈存在論〉なのであって〈自分論〉ではない。哲学者の大半が、この点に言及してはいないのである。意識の有無について論ずる者は多くいても「自分がなぜ自分なのか」という命題について論ずる者がない。もちろん〈他者問題〉としてそれらはある程度考察されてはいるのだが、決定的な思考へとは到っていない。それに触れる者はみな、ユングの集合無意識論を借用してもっともらしく語っているだけで、その実、彼らには何も分かっていない。

2020.06.28

どこまでが〈自分〉なのか

 さて、誰もが何の違和感もなく〈自分〉を受け止めているのであるが、果たして〈自分〉とは何であろうか。というよりも、どこまでが自分の意識かということを少し考えてみたい。

 10歳のときの〈私〉との出遇いは、余りにも衝撃的であった。私は、それまでのただ自己に執着しただけの自分から他者を認識した自分〈私〉へと階段を一段登ることになったからである。何より衝撃的だったのは、〈自分〉という存在の不可解さであった。その主人たる自分が存在する。だがそれは、他者においても同様で、それぞれの他者がそれぞれに〈自分〉を生きているのである。その他者の〈自分〉と自分の〈自分〉はあくまで相対的関係でしかない。

2020.06.27

〈死〉を分析する

  前回、自分のこだわりを捨てることで、〈死〉に伴う苦悩を克服したことを記した。

 しかし、座禅の境地に達する必要もなく、思考をもって分析することで、ある程度は理性によって死は冷静に受け止められるようにもなる。すなわち〈死〉とは何かと考えてみることである。

 死とは、自分の思考の停止を意味する。単に一時的思考の停止なら気絶や熟睡の最中もそうだが、〈死〉は一時的ではなく永遠であるのだ。サルトル的に言うならば、自己が支配する〈対自存在〉から他者に支配され自己が失われた〈即自存在〉への移行である。永遠なる死はすなわち無であり、死んだ当人には意識がないのだから永遠すらもないということである。死の直後、遺体が存在する間は、死者を知る者たちにとっては、それは即自存在としての物となり、その後に焼かれるなり埋葬されるなりして、目の前から遺体が消えたときに、死者は遺族や友人たちの心の中に生き続けることになる。

2020.06.26

生きるとは何か

 死ぬための人生は悲しすぎる―

 生きてることに何の意味があるのか―

 その後、少年期から青年期にかけて私の心を支配し続けるこの命題は、人生に対する目的意識を根底から見直させることになる。〈死〉はすべてを失わせるのである。愛のすべてを奪い去っていくのである。この事実を直視することは、当時の私には耐え難い苦しみであった。いかにそのことを忘れるか、意識しないかが毎日の課題でもあった。しかしそれは、毎日のように私に襲ってきた。生は常に死との表裏でしかなく、生は死そのものであった。この悲しみや不安感というものを一掃することになるのは、15歳から16歳にかけての元服の儀式としての切腹の疑似体験の特訓を1年間毎日のようにしたことによるところが大きい。さらに、瞑想を始めたことが決定的であった。

2020.06.25

〈死〉という宿命

 昨日語った〈死〉なる命題についての続きである。

 私の場合は、自他問題よりもこちらの方が重大で、決定的で、すべての私の精神を傷つけるものであった。その意味において私はニーチェに負けないだけのニヒリストでもあった。その眼前に立ちはだかるのは〈死〉問題であった。私の場合〈死〉の意識は祖父によって築かれた。祖父と一緒に住んでいた生後4年半のうちの、たぶん2歳以降における、朝の6時に起床して朝焼けとともに博多湾に漁船(ポンポン船)が往き交うのを見ながら庭先で歯を磨くというお決まりの日常の中で、祖父が毎日のように口にした「爺ちゃんが死んだら…」というフレーズが、私の生死観を決定づけたように思う。3歳時は常に母の死を恐れていたものだ。

 こんなことを言うと、たまに2歳3歳の記憶があるわけがないと言う人がいるのだが、むしろ記憶していない人こそ問題があるのではないかと私は思ってしまう。因みに、私には母乳を飲んでいたときの記憶も残されている。厳密には6歳のときにそのときの映像を想起し、その記憶がおとなにまで引き継がれたものである。

2020.06.24

〈総体の私〉との出遇い

 前回、10歳の筆者が〈私〉と初めて出遭った体験について記した。〈私〉とは、前回記したように、「他者の〈自分〉と自分の〈自分〉とを等価として理解し、なお且つ、その両者を統合せんとする意思を持つ者」を指している。

 そこからの旅は時間的には決して長くはないが、精神的には限りなく重く長い旅路となった。一つの帰結は16歳のときに〈総体の私〉として訪れることになる。その間の背景としての人生体験なる苦悩は筆舌に語り得ないものがあった。

2020.06.23

〈自分〉と〈他者〉と〈他者の自分〉

 世界には〈自分〉が自分以外にも存在する―

 世界は〈自分〉だけのものではない―

 ではこの自分とは果たして何者なのか―

 〈他者〉も他者となればそれは〈自分〉でしかない―

 それならば〈他者の自分〉はなに故に〈自分の自分〉に優先し得るのか―

 ここにいるこの〈自分〉と世界中に存在する〈それぞれの自分〉は、

 どちらがこの世における主体者たり得るのか―

2020.06.22

本来の素の自分

 イエスが語る幼な子の自由闊達な〈自分〉のことに直接的に言及しているわけではないが、そのような何らの肩書や世間体を気にしていない素の状態の自分を、哲学者のキルケゴールは〈実存(存在)〉と呼んだ。それは人間の自意識や社会的評価から離れた〈本来の素の自分〉を指した。一切の概念に支配されない〈素の自分〉に立ってこそ、人間は人間たり得ると説いたのである。しかし、〈素〉とはよほどの覚悟がなければたどり着けない姿でもある。そう簡単に人は〈素〉たり得ない。キルケゴールは人以上に神の素たる実存こそを強く説いた。それは、信仰心の篤い敬虔なクリスチャンのキルケゴールにとって、原罪意識からくる〈不安〉と対峙する中での自分対神という一対一の関係性において求められた神の実存であった。それは、キリスト教のドグマ(教義)から離れた、人間の作り上げた理性倫理の神ではなく、本質的で普遍的な存在としての神であった。超人思想を説いたニーチェの「神は死んだ」も、実はこのことを指しているのだと私には思えるのだが、ニーチェは無神論的実存主義者に分類されている。

2020.06.21

〈自分〉という絶対的存在

 〈自分〉は私自身の中核であり、なんぴとといえども入り込むことのできない存在であった。その〈自分〉は私にとって絶対的存在だった。もちろんあなたにとってもである。しかしそれまでは、そんな絶対的存在が他者に有されているとは思ってもみなかったのである。絶対的存在は〈自分〉以外に有り得なかったのだ。