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2020.05.27

侘び然(さ)び幽玄は死を見据えた生き様に宿る

 日本人への平等教育の洗脳が、わが国民を蝕み、いまや崩壊寸前である。「侘び然び」を我々が語る限りに於いて、この面構えは絶対に排除することが出来ない事であるのだ。以前の日本人の方が圧倒的に面構えが良かった。ハンサムでも長身でもなかったが、顔に皺の刻まれた男たちには魅力があった。女たちも大らかで、いま時の女たちと違い器が大きかった。温かかった。その一つ一つが「侘び然び」を成立させる条件であることを、いまや日本人は忘れてしまっている。

その意味では、日本人よりも外国人の面構えの良さは圧倒している。インド人の眼の鋭さは哲学者の様である。

 翻って欧米やアジア等に目を移せば、その到る所に「侘び然び幽玄」は存在する。ただ、彼らの生き様は遙かに自己主張型であり、侘びてはいない。何故なら侘びた時には死を意味するからである。戦国時代の日本人も実はそうであったのだ。「侘び然び幽玄」は決して現代の様な平和な社会で生まれたのではなく、寧ろ極めて危険な中でこそ醸成されたことを、我々は茲に再認識する必要がある。この儘では、本当に日本人が「侘び然び」の心を失ってしまいそうで、筆者は心配でならない。これは学問の場を逸脱した世界だからである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 ヨーロッパの然び)