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2020.05.26
俳優の面構えと侘び然び幽玄
筆者はヨーロッパとハリウッド映画を見て育った。そこには常に渋い男たちがいて、重厚で魅力的だった。その街並みにも魅了されたものだった。同時に多くの日本の時代劇も見たものだ。いまのチャチで威厳も何もなく情けないだけの大河ドラマと違って、当時のそれらには存在感があった。歴史や人の重みがあった。
2014年に83歳でこの世を去った高倉健氏が演じたのは、渋さであり、それは「侘び(わび)」ではなく「然び(さび)」だったのである
市川右太衛門や近衛十四郎や大友柳太朗や片岡千恵蔵や三船敏郎、山村聡、志村喬…そして魅力的な京マチ子や木暮実千代、高峰三枝子、久我美子、嵯峨美智子、岸恵子…の女性陣。皆大人だった。その映像には必ず侘びも然びも幽玄も全てが活き活きと描かれていたものである。それはヨーロッパ映画に於いても同様だった。
現在、クリエーターとしての漫画家の評価は世界的に高い。ハリウッドの監督や脚本家さえ全員が日本の漫画をチェックしていると言われる程である。ところが、日本映画だけはその努力をしていない。そもそも俳優と言えるだけの者が存在しない。昔の様な堂々たる俳優が一人もいなくなったことは、この国から「侘び然び幽玄」が消え失せたことを意味するのかも知れない。
そういえば、この原稿を書いている最中に高倉健が亡くなった( 2014年11月10日)。マスコミは挙って健さんの渋さを讃え最後の俳優と絶讃し、次々と追悼の映画がテレビで流されている。彼のことを誰かが「侘び然びを体現した人」という言い方をしていたけれども、果たしてそうであろうか。ヤクザ役をやっている時は兄貴分で出てくる池部良や鶴田浩二の方が渋みが有り一本筋が通っていたものだ。その後、「八甲田山」や「鉄道員」などで高い評価を得るのだが、その時の彼の表情に「侘び」は少ない。彼の場合は常にスラリと背が伸びた長身のハンサムという凡そ「侘び」とは一致しない風貌があり、更に彼自身が全く侘びる気などない人であった。彼が演じたのは常に渋さでありそれは然びであったのである。
(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 ヨーロッパの然び)