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2020.05.22

ヨーロッパの乾燥した「侘び」

ミレー「落穂拾い」

「侘び」を感じさせるミレー「落穂拾い」

 一方、ヨーロッパ人の中の「侘び」はもっと乾燥している。日本人の様にジトッとしていない。彼らの陰性は日本人同様に実は自己否定を持ち合わせている。その様な者は、より思索的で静かである。しかし、どんなにそうだったとしても、自分に利害が生じた時には激しく戦うことを避けることはない。もしかすると、この「ヨーロッパ型の侘び」の方が「実践的侘び」として正しく機能しているのではないかと思う程である。

また、多くの国で昔の茅葺き屋根の古民家を見ることが出来る。それは、とても美しい造りで感心する。その内側は極めて近代的ではある様だが、少なくとも世界のどの国に於いても、この様な形で「侘び」はどこにでも存在していたということである。特に時代を遡れば、そこには多くの百姓たちの辛苦と悲哀と流血が感じられてくる。

 それは恰もミレーの絵画を見ている様でもあった。彼の有名な「落ち穂拾い」は寡婦たちの悲し気な生活、寂しさ、惨めさを表現している。同時に社会システムとして落ち穂を拾わせる慈善精神が根付いていて、それらの社会背景を切り取ったこの名作は、恰も日本の百姓の稲刈り後の秋の夕暮れの時を表現しているかの様である。二宮金次郎がその落ち穂で弟妹を養ったことは能く知られている。その意味で西洋画に於けるこの種のものはわが国の夕暮れの歌人の歌と共通するものであり、決して日本人特有のものと言うことは出来ないのである。同じ絵でもゴーギャンには侘びも然びも幽玄も、全く何もない。それに比してミレーらのバルビゾン派の絵画には強い「侘び」を見出すのである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 「陽性の侘び」との出会い ミレーの夕暮れ)