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2020.05.21

自己主張しない日本人の心にある「侘び」

 筆者は若い時に世界中を歩いてまわった経験がある。その全てが日本と違う国であった。日本だった(植民地ではない)台湾や朝鮮や南太平洋の人たちだって全く違う国であった。中国も然り。世界中どこに行っても日本人と全く同じ精神を共有している国など存在しなかった。当然のことである。その中にあって、日本人の気質と似ていると思った民族がいくつかある。

 恥ずかしがりというのは、アジア人や未開地の女性や子どもには割とよく見られる傾向ではあった。そういった中で、恰も日本人の様だと感じたのは、ネパール人やブータン人、田舎の中国人、アメリカ南部の白人たち、チベット人の人の良さ、ユダヤ人の決まりをよく守る所、ドイツ人の生真面目さ、、博多っ子とナポリっ子。その時の印象で、いまもそうかは厳密には分からないが、意外な所が似ていたりして驚いたものだった。

 全く以て似ていないのは中南米人、アメリカ人、イギリス人、スペイン人、インド人、煩い中国人、高飛車なフランス人、相手を責めまくる韓国人、アフリカ人、身長一八〇センチの女性がいる国々。

 では、何が共通しているだろうか。実は、どの人種だろうが国民だろうが価値観の基本は皆同じなのである。愛が多い人は好かれ少ない人は疎まれる。他を責める人は嫌われ助ける人は好かれる。科学者や一芸に秀でた者は尊敬され、花がある者は人気者となる。特に先進国の中ではタフで自己を抑制出来る人物は尊敬される。皆、恋愛と食事と音楽とサッカーが好きだ。

 そんな中、日本人だけが他と圧倒して違うことがある。他から見ると圧倒的に劣っていることがある。それは、自己主張しないことである。この一点に於いて、日本人は他の全ての人種を圧倒している。その意識こそ「侘び」だったのである。しかもそれが弱点として作用している姿であったのだ。(つづく)

(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 「陽性の侘び」との出会い ミレーの夕暮れ)