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2020.10.10
『タオと宇宙原理』〈47〉第一章 刹那生滅
「あなた」も「私」も実は不確かな存在であるのだ。せめてアニメのコマのレベルでしか存在していないことに気付くことが出来れば、その人はかなり優秀な識を持っていることになる。と言った途端、識なるものも存在することはない、と空(くう)じられるところが仏教の凄みである。何であれ、かくの如く、仏教哲理は物理学を凌駕(りょうが)している。
この仏教哲学は将に現代物理学とまったく一致するものであり、宗教でありながらここまで極めてきた仏教の凄みを見せつけられる思いである。それ故に物理学に人間原理が出てきたくらいでは仏教哲学には未だ及ばない。これらについては六章にて「三世実有法体恒有」と題して、更に詳しく述べている。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 刹那生滅)
2020.10.09
『タオと宇宙原理』〈46〉第一章 刹那生滅
仏教は、この世を無常と捉えていて、一時たりとも永続するものではないと説くのである。我々の今である現在が錯覚的に「生」と認識され、次の刹那には完全な無となり消滅し、これを繰り返すことで、恰も永続しているかの如き感覚を我々は持つのである。迷いの世界であるこの世の法則である有為法(ういほう)が一刹那のみ今現在に出現し、即時に消滅して過去へと移り変化することを意味する。
2020.10.08
『タオと宇宙原理』〈45〉第一章 刹那生滅
さて、この未来相には、未来に閉じ込められて現在相に顕われないものもある。それらは因縁が未だ成就しないものである。また、涅槃に関わるものは作用しない法として未来相内に定住するものとなる。それが顕われるのは、人が解脱した時である。
刹那生滅とは存在に実体が無いことを意味している。以前、白金か何かの分子の生映像を見たことがあるが、それは部分部分が生滅していて、アメーバの様にふにゃふにゃと動き回っているかの様にも見えた。今でいう仮想フィールドである。その形を留めることがなく、個体とはまったく認識できないものであった。将にその様に我々の体もこの世界の全てが生じては消え、消えては生じるの変化を繰り返しながら存在しているのである。それは、第四章で述べている物理の法則と一致することが、現代において証明されている。
(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 刹那生滅)
2020.10.07
『タオと宇宙原理』〈44〉第一章 刹那生滅
相対性理論と同様に仏教の有部は、未来と現在と過去を等価と見るのである。
そこには、未来から過去あるいは過去から未来に向かった連続する時間の矢が見出されることになる。しかも、それらが等価の関わりということになれば、未来が現在に影響し、現在が過去に影響することが論理的に導かれることになる。通常は、過去の因が現在に果を生じさせ、現在の因が未来に果を生じさせるということになるのだが、三世が実有であるならば、それは相互依存の関係となり逆の因果関係も有り得ることになるのである。この事は、アインシュタインの相対性理論の中で語られていることでもある。仏教と最先端物理学の一致とは何とも驚くばかりである。